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太宰府市と大野城市の境にある大堤です。この地点は福岡から筑紫野間の平野部が最も狭まる地点にあり、堤は両側の山間部をつないでいます。西暦664年から665年にかけて朝鮮半島からの来襲に備えて作られた防衛壁です。前長2キロメートル、高さ13メートル、基底部幅80メートル、上下2段構造の大規模なものです。さらに堤防の北側(福岡側)には幅60メートル深さ4メートルの堀も作られていました。
東にある大野城と西にある基肄城(きいじょう)そしてその2つを繋ぐ水城大堤を持って、完全に博多湾方面から遮断し、古都大宰府の防衛力を高めました。またこの堅固な防衛施設は約600年後の元寇の時にも利用され、大宰府は日本軍の本陣として機能しました。
また諸説の一つとして、白村江の戦いより前にこれが存在していたという説もあります。九州に王朝がありその首都である大宰府をまもっていたという説です。これを裏付けるような資料もあるのですが、残念ながら一般的には余認知されていないようです。
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