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この地区は温暖な気候と水に恵まれていたため、約2万年前の旧石器時代から人々が暮らし始めました。また稲作も全国的にも早い時期に始まりました。弥生時代にはすでに国家が出来ていていたようですが、その国家というのは諸説あります。邪馬台国説もありますし、それと対立していた狗奴国(くなこく)という説もあります。久留米の東にある高良山はその時代からの聖地とされ、信仰の対象でした。
7世紀ごろの律令制の元筑後国の国府がおかれました。その規模は全国でも最大級の威容を誇っていました。ただ筑後国全体を統一する勢力は現れず、多くの豪族たちがいたままでした。形上は大友氏の支配下にありましたが、戦国時代になるまでその状態が続いていました。
戦国時代に特に力を持っていた15の家を筑後十五城と言います。現在の久留米市の場所は北部は平安時代に現在の草野地区に入った草野氏が支配し、南部の三潴地区は蓮池氏が支配していました。東部の高良山付近は丹波氏、星野氏、西は西牟田氏が支配していました。
江戸時代になると有馬豊氏(ありまとようじ)が徳川家康にその功を認められ筑後に久留米藩として21万石が与えられます。以後久留米地区は筑後の中心として栄え始めます。 明治になり1871年に行われた廃藩置県で久留米県の県庁所在地になりましたが、三潴県を経て、1888年に三潴県が福岡県に統合されたために県庁所在地ではなくなりました。
1889年4月1日に市町村制度発足により中心部が久留米市となり市制が施行されました。久留米市は日本で最初に市制施行された市の一つです。周辺地区は村となりましたが、その後だんだんと久留米市に編入されました。2005年に北野町・三潴町・城島町・田主丸町が編入され、今現在の久留米市は旧久留米藩のほぼ全域をカバーするようになりました。もともと特例市に指定されていましたが、合併によって人口が30万を超えたため2008年度から中核市への移行を目指しています。
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