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祭神は高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)、八幡大神、住吉大神の三柱をお祀りしており、延命長寿、家内安全商売繁盛、交通安全、厄除け、芸能の祖神です。神社のある高良山自体を御神体としています。この高良玉垂命ははっきりとしたことは分からない、正体不明の神様ですが、筑後国の国魂であると言う説、武内宿禰を神格化したものと言う説などがあります。
建立は400年とされていますが、その遥昔からこの地が聖地であったことが点在する遺跡から判っています。大規模な神籠石が発見されたことにより邪馬台国との関係も論されるようになりました。弘仁9年(816年)に名神に列し、貞観11年(869年)には従一位、寛平9年(897年)には正一位を授与されました。筑後国一宮、九州総社、鎮西十一カ国の宋廟と称えられました。
歴代天皇のご尊崇あつく、鎌倉時代までの御造営はすべて勅裁によって行われていました。文永・弘安の蒙古襲来時には勅使が参向され、蒙古を退けると「天下の天下たるは、高良の高良たるがゆえ」との論旨を賜ったと伝えられています。
10月にある大祭には大宰府から勅使が立ち、九州9カ国の国司、郡司が参集して奉仕するを例としました。 南北朝時代には、少弐、菊池、大友、島津の九州の4大豪族が「四頭」に任ぜられ、交代で祭祀を行っていました。
その後戦国の争乱で荒廃しますが、江戸時代になると久留米藩主の崇敬を受け、三代有馬頼利公より、現在の御社殿の寄贈を受けます。1660年に本殿が1661年に幣殿、拝殿が完成しました。現在まで残るこの本殿は神社建築としては九州最大を誇ります。
近年では明治4年に国幣中社に、大正4年に国幣大社に昇格しました。
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