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宝満山の山頂と麓に上宮、下宮を持つ大きな神社です。かつては中腹に中宮もありました。 天武二年(673年)に、心蓮上人が宝満山に籠もって修行していたところ、玉依姫命が現れ、朝廷により上宮が建てられたのが、竈門神社の創建とわれています。またそれと同時に下宮周辺に寺院も建てられました。
最澄も難破した遣唐船の修理を待つ間、宝満山に籠もり薬師仏四体をほり、入唐求法、航海の安全を祈りました。それ以後高僧の往来が盛んになり、平安時代末から鎌倉時代には学問を主に行った宗徒方300坊、修行を主に行った行者方70坊の坊舎があったと伝えられています。
元寇の際にはここに小弐氏によって有智山城が築かれ、竈門神社に戦勝祈願がなされました。 戦国時代の武将高橋紹運もこの地に城を築き、竈門神社を守り神としました。戦国時代の長い戦乱によってこの神社も疲弊しましたが、天正十五年(1585年)に豊臣秀吉によって宝満山に三層の高楼が建てられ、小早川隆景により諸堂の再建がなされました。また黒田藩の歴代藩主の信仰も厚く、寄進、修復などが行われました。
明治になり神仏分離によって仏教的なものは壊されました。このとき中宮は壊され今では礎石が残るだけとなっています。
太宰府政庁の鬼門を守る神社であったことから、縁結びのほか、方除、厄除けにご利益があります。
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