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太宰府といえば大宰府政庁跡や太宰府天満宮が有名です。歴史ある街ですが、市としての歴史はあまり古くありません。また大宰府政庁や水城大提のあるところは昭和30年までは水城村でした。昭和30年に太宰府村(大体天満宮付近の地域です)と水城村が合併して太宰府町となりました。このときは水城という名前を取るか、太宰府という名前を取るかで住民の間では結構論争になったようです。両方とも歴史ある名前ですからね。結局太宰府の方が有名だということで太宰府町になったようです。最も全国的に有名なのは「太宰府」という地名ではなく「大宰府」みたいですが。市に昇格したのは昭和57年のことです。
市としてまとまったのは新しくても、この地域の歴史は古いです。弥生時代には卑弥呼が統率したといわれる伊都国が成立していました。 大和朝廷統一後の宣化元年(536年)には大宰府の前身といわれる那津官家が現在の博多区におかれました。そして白村江の戦い(663年)大敗後、防衛施設として水城大提、大野城が造られそれに守られた地に大宰府の都が置かれたといわれています。唯はっきりとした年月は分かっておらず、この説にはもっと昔から大宰府は存在していたとの異論もあります。
最初は軍事拠点として築かれた大宰府ですが、次第に大陸との交易を行う窓口や九州全体を収める役所としての性質を帯びるようになりました。
天慶4年(941年)藤原純友に攻められ大宰府はいったん消失してしまいますが、その後再建されました。現在に残る礎石はこの再建されたときのものです。
平家が滅び鎌倉幕府が出来ると律令制下の大宰府はその機能を停止し、500年にわたって栄えた「大宰府」は終焉しました。
その後元寇のときに軍事基地となったりしましたが、戦国末期に高橋紹運公が岩屋城で玉砕したのを最後に、農村へと姿を替え「大宰府」は歴史の表舞台からは姿を消しました
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